どんなスポーツにも後世に語り継がれる稀代の名選手たちがいます。日本だけではなく、海外の名選手達を含め、人気のあるスーパースターと呼べる名選手達に人は心を奪われます。

競馬野球なら、数々の迷セリフを残した『記録より記憶に残る』長嶋茂雄と『世界のホームラン王』の王貞治。サッカーなら『天才』の名前を欲しいままにした中村俊輔や、『神の手』の故・ディエゴ・マラドーナ。バスケットボールなら『ブラックマンバ』と呼ばれた故・コービー・ブライアント、『ジェームズ王』のレブロン・ジェームズなど、全員が歴史を築き上げた名選手たちです。

これは競馬でも同じです。競馬の競走馬も人間のスポーツと同じで、稀代の名馬が歴史に名を刻んでいます。

ディープインパクト、ナリタブライアン、ブエナビスタ。競馬をしない方でもニュースなどで、これら競走馬の名前を見たり聞いたりしたことはあるのではないでしょうか?

そんな中、ちょっと違う意味で『稀代の迷馬』としてギャンブラーたちの心を掴んで話さなかった競走馬がいます。その名は『ハルウララ』。

前述のディープインパクトと同じように、ハルウララの名前を聞いたことがある方は多いと思います。でも、どうしてハルウララが迷馬と呼ばれるのかは、ご存知ない方の方が多いのではないでしょうか?

バーチャルホースレースでも遊べてしまう、競馬好きにもピッタリのluckyniki casinoで遊びながら、ハルウララの魅力に迫ってみましょう。

 

全戦全敗記録を樹立?

ハルウララを語るにあたって、まず最初にギャンブラーの皆さんが思い浮かべるのはハルウララの通算成績ではないでしょうか?

それもそのはず、ハルウララは『一回もレースに勝ったことがない』という、競走馬としてはとっても不名誉な記録を持っています。しかも、113連敗という見事なまでの負けっぷりを発揮しています。

実は通算数で見て、ハルウララより負けの数が多い競走馬は存在します。ただし、ハルウララの場合は連敗記録という、勝ちを挟んだ他の競走馬とは違う点がハルウララの記録を一段と引き立てます。しかも、この113連敗はハルウララが現役だった2004年当時は日本記録だったとも言われています。

語れば語るほど、全くもって良いところが見られないハルウララですが、どうしてこうなってしまったのでしょうか?

父親は1987年にG1の優勝経験もある通算成績21戦8勝のニポオーテイオー、祖父はイギリスで三冠を達成した経験があるヒロインを両親に持つので、血統が大事な競馬に世界ではハルウララはエリートの分類に入ると思われます。

でも、蓋を開けてみれば同じ母親を持つ、タガノヒロインは通算27戦1勝の成績を残し、オノゾミドオリは通算91戦9勝の成績を残しているので、実はお母さん側の家族に似てしまったのかもしれませんね。

当のハルウララは、成績に関係なくレースになると一所懸命に走ったと言われています。ただし、実生活に難があったとも。

例をあげると、ハルウララは他の馬と同様に臆病だったり神経質だったにもかかわらず、どこか鈍いところもあったのか、新聞や雑誌の記者が訪れると他の馬なら神経質になり過ぎて食欲が減ってしまうのに対し、ハルウララは何事もないかのようにご飯を食べていたそうです。

しかも、筋金入りの飽き性らしく、軽い運動として納屋の周りを数回ほど歩かせただけでも、途中で「もうこれ以上は歩きません」という意思表示をしていたそうです。

レースは一所懸命に頑張って走ると前述したハルウララですが、実は『ハンドリングできないし、ブレーキも効かない』という、『超』がつくほどのじゃじゃ馬だったそうです。

誰に似たのかが理解不能な『ゴーイングマイウェイ』過ぎる性格が、当時の日本記録となる113連敗の一因だったのかもしれません。

実はもっと凄い記録がある?

ハルウララの人気は凄く、当時は自身についての曲が書かれてCDが発売されたり、映画になったりと、日本でもトップの騎手が名誉あるG1のレースで勝った馬よりも一回も勝ったことのないハルウララが騒がれる事態に辟易するなど、レースの外でも問題児っぷりを発揮していました。

しかし、『負けの代名詞』な扱いを受けていたハルウララですが、実は既に113連敗の不名誉な記録は抜かれています。それ以前に、実際にハルウララの記録を日本記録として扱うことに疑問符が付けられています。

それもそのはず。1998年生まれのハルウララと同世代のトサノカオリはハルウララを上回る120戦全敗を記録しています。また、トサノカオリと同じ厩屋に所属していたライデンエンパイヤは114戦全敗と、トサノカオリとライデンエンパイヤが所属していた厩屋だけでハルウララの記録を超えています。

それだけではなく、過去に遡ると1991年生まれのホクシンボーイは148戦7勝をあげていますが、参加した148戦の内、最初の116戦は全敗しています。これで既にハルウララの戦績が日本記録では無いことがわかります。

極めつけはダンスセイバーと言っても過言ではありません。2011年生まれでいまだに現役として頑張り続けているダンスセイバーですが、遂に誰にも敗れそうにない229連敗達成するなど、上には上がいることを証明しています。

ハルウララの人気が最盛期を誇っていた2004年当時はディープインパクトがデビューした年であり、ハルウララがいた高知などの地方競馬場では特に目立つ競走馬がいなかったのが人気の真相なのかもしれませんね。

ディープインパクトは登場するや否や、栄誉あるG1レースである皐月賞などを総ナメにしてしまう程の活躍を見せ、それだけではなく、日本からフランスに旅立って2勝を挙げています。

昔、野球監督の故・野村克也氏が自分の現役時代を振り返り、「長嶋茂雄や王貞治が太陽の下で咲くヒマワリなら、自分は日陰に咲いた月見草である」と表現していましたが、現役としては1年しか被っていないものの、これはハルウララとディープインパクトにも当てはまるのではないでしょうか。

平成きっての名馬として歴史に名を残すディープインパクトが、その勝利を信じて競馬場に足を運んだファンたちを喜ばせる『陽』であったとしたら、ハルウララは地方で絶対に負けるけど自分を応援するために遠出してくれるファンのために頑張り続ける『陰』の存在であったのかもしれません。

まとめ

 

ハルウララは今後も平成の迷馬として、競馬ファンたちの間では記録されるに違いありません。

昔、ハリウッドのアクション超大作で登場人物が主人公を『彼は私たちに相応しいヒーローではなく、私たちに必要なヒーローだ』と形容するシーンがありましたが、ハルウララは当時の競馬ファンにとって必要不可欠なヒロインだったのではないでしょうか。

軽い運動に連れ出せば途中で飽きて駄々をこねて歩かなくなる、レース中は一所懸命なんだけど曲がれないし止まれない、というドジっ娘な側面を見せたハルウララ。彼女は人気者として人々を楽しませる星の下に生まれた迷馬だったのかもしれません。。

今は引退し、27歳のハルウララ。競走馬としては長寿ながら、健康に一切の問題なく、ピンピンしているということなので、お婆ちゃんになってハルウララにはファンたちの間で輝き続ける『競馬の星』であってもらいたいものです。

By okadmin

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *